鼻詰まりの子の大半は口腔機能発達不全も併発

鼻詰まりの子どもが多いです 
鼻詰まりの子の大半は口腔機能発達不全も併発しています
私は歯医者で専門外ではありますが
本院は鼻うがいをおすすめしています
それと鼻詰まりでも鼻呼吸するように意識し続けることが大切だと思います
ビデオを参考にぜひやって下さい
YOUTUBEで「鼻うがい」と検索すればたくさんヒットしますので自分に合うものを見つけて下さい

その中で私のオススメは ↓



 

 

あなたのお子さんは徳川将軍 何代目?

今の子供と同じような生活の先駆けは徳川将軍?

 徳川家康はガッチリした顔つきですが、将軍のような生活を続けているとその子孫はどんどん顔つきが変わってきています。将軍の生活は極めて特殊な環境だったと思いますが、今の子供たちを見ると現代の生活は将軍と近いレベルなのもしれません

徳川将軍_顔500

 将軍の中で異色の八代吉宗は例外ですが、戦が長期間無く将軍のライフスタイルが公家化したため?インドア、運動不足、軟食など口腔機能を低下させる要素が多くなったのが関係していると想像します

 他にも、世継ぎの赤ちゃんは乳母制度によりラッチオン(←クリック)が出来ていなかったのでは?と想像でき、将軍の顔の変化にも大きな影響を与えたと考えます。

 あなたのお子様は何代目?

 今の子供はコロナ禍により更に環境は悪化しており、今後どうなってしまうのか?とても心配しております

徳川将軍_顔3500

参考資料(上の図も含めNetで見つけたものです)

乳母は『お乳持ち』といって1人の子供について5人ぐらいおっぱいをあげる女性を雇うようになるのです。それには旗本よりワンランク下の御家人の奥さんたちを起用した。御家人はお目見え以下ですから、その女房も将軍家の子供の顔を見てはいけないということで、覆面というか大きなマスクをしておっぱいをあげていたのだそうです。直接、抱くことも禁じられていたので、格上の女性がおっぱいのところへもっていって、吸いなさいとやっていたわけです。そんな格式の中でおっぱいをやるわけですから、女房たちも緊張しておっぱいが出なくなったりするのですね。だから5人も雇わなければならなかった。大奥に入り浸りで側室を40人も抱えて正室・側室に53人もの子供を作ったのは11代家斉(いえなり)ですが、その子供が次々に死んで半分以上が育たなかった。どうしてそんなに死んでしまうのか。その原因はおっぱいのやり方も含めてのびのびと育てていないからに違いないと。それで途中から覆面をしないでお乳を飲ませられるよう旗本の女房たちに乳持ちをやらせるように改めたのです。それでも幼くして死ぬ子はなくならなかった。本当の原因はおっぱいをあげる女房たちの白粉(おしろい)に鉛が入っていたからだとも言われています。当時は胸元まで白粉を塗って化粧をしていましたから、その鉛をおっぱいと一緒に飲み込んだことが原因だということは否定できない

将軍の正室は京の公家から迎えるが、将軍の御台所(みだいどころ)は用便後の尻拭いまで女中に任せたとされるほど運動量が少なく、骨盤の発達が未熟で死産も多かったと考えられる
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江戸時代中期になると、江戸などの都市部では、米を精白した白米が常食されるようになったため、脚気が流行して「江戸煩い(えどわずらい)」とされた。8代将軍吉宗のように玄米をガシガシと食べた人もいるが、庶民は蕎麦を食べることで脚気が防止できるとしていたようだ

将軍の食事が厳しく管理されて、食事内容もワンパターンになり、噛まずにすむように柔らかいものが中心になり、魚の骨も抜かれていたとされる